やっぱり、バイクが好きさっ!!

今までも色々な趣味を持ってきました。

意外と小学校辺りからの趣味って今でも一緒だったりします。
テレビゲームは何故か3年足らずで卒業してしまい我家にはありません。
プラモデルも好きですが、ここ3年程は作ってないですなー。でもいまだに
実家の物置にコンプレッサー(塗装用の機械)も置いてあります。

しかし、ダントツに長い趣味はやはりオートバイでしょうか。

コトの始まりは中学2年生の時に見た
「トップガン」でトム・クルーズが
カワサキ製のバイク・GPZで走り回るシーンにやられてしまいました。


さて、そんな訳で少年ゼブラはどうにかしてバイクに乗らねばと日夜妄想
に浸ることになるのです。 理屈は分かるが感じがワカンナイ「クラッチ」
の繋ぎ方とか・・。
チャリンコに乗りながらイヤホンではトップガンのサントラ。
傍目にも怪しく身の回りには
「デンジャーゾーン」オーラが出ていた事でしょう。

中学を無事卒業し専門学校に通いバイトの日々。
親の監視が緩んだ隙に
「姫路中央教習所」にて無事原付講習を終了。
1回落ちて明石の筆記にも合格、世界が自分の物に見えた16の冬。

               

                  




母親は当然びっくり、でももう遅い。ふふん出し抜いたり!!
父は元カミナリ族かぶれ、別に何も言わず当時家にあったホンダのパルを
バイト快速として貸してくれた。
当時、公道にも慣れてきた僕はバイト先である姫路セントラルパークの私有地
の下り坂で何キロ出るかを試すのが楽しみでした。
50-60キロとエスカレートし遂にメーターを振り切り、推定100`を(目測です)
超えたとき・・・・。 ドカン!! と言う音と共にエンジンカバーが
爆発!!
プーリーがトロケてしまいました。 
一晩で親父が直した方が僕は驚いたけど。

     
      
   


                  



そんな乗り方をしていてスクーターが壊れない訳が無い、ってコトで2年後には
しっかり廃車に。 市内の
フランス料理店ボルドーに就職が決まり、しばらくして
から、ホンダのNS-1を新車で購入。 シフトチェンジが楽しい事を知ってしまった。

買ったときには秘話があって、どっか田舎の駅の売店でバイク雑誌を見て一目
ぼれ。その足で姫路カワサキへ買いに行ったのでした。 現金一括買い。
確か250,000円位でした。貯金が趣味のヤな少年ゼブラ、19の春。

ツーリングとしては近場中心でしたが、フェリーで小豆島へ泊りがけツーリングに
行き。七曲を攻めたものです。 本当におバカでした。
2ストロークエンジンは今ではほぼ全滅ですがあの頃は全盛でしたなー。
いつもエンジンオイルを持って走ってました。

当然こんなオモチャを持ってると「もっとデカイバイクを!!」と言う訳で中型免許を
山陽自動車教習所で3週間にて所得。
教習中に他の教習生を煽って教官にこっぴどく怒られたのは、良い思い出。


仕事も順調にスキルアップ、神戸の老舗フレンチに忍び込む事が出来ました。
NS-1は売り飛ばし下宿先の敷金に消えましたが、爪に火を燈す気合で一年後
に400tのバイクをゲット!!  よく頑張った、青年ゼブラ21の夏であった。




          

本邦初公開、21才のゼブラ青年。
青年は荒野を駆け抜ける、良い意味で自由・悪い意味で無鉄砲。
当時でも十分古い10年オチに近いGPZ400Rを姫路カワサキで約100,000円
にて購入。タンクがサビサビで良く燃料が
オーバーフローしたりでてこずった。
そして良く押しがけもした!! 



               
 
休暇を頂き、九州は熊本県・やまなみハイウェーを攻める。
理由はひとつ、やまなみハイウェーが無料になったから。

しかしそこへ行くまでに
3万円位かかってますがな!! 無論全部陸路で行きました。



        

   
納車の日、未だ前の店舗だった頃の姫路カワサキの前で店員写す。
   ちなみに、この頃の体重は50キロでした。 痩せ過ぎ。




          約2年の神戸生活を終え、ボルドーに復帰。
GPZの車検が古い単車故に大分高い事が分かり売却、このバイクの最新型
にあたる本格ツアラー・カワサキZZ-R400をナント
新車で購入。

                 750,000円

               


メーカー問わず最長シリーズとなってしまったリアル・ツアラーZZ-R 加速はGPZ
より劣るものの、まるでスケートの様な滑らかさを持つエンジン、ブラボー!!

        

        
ボルドー前にて、現レストラン・アマルのオーナー・シェフ
        平岩君写す。 ちなみに当時の体重は54キロ


もう、毎日が月曜日!!(ボルドーは月曜日定休)でした、走った・走った。
四国、山陰、淡路、長野、鳥取、山口と長距離主体に。どこまでも・どこまでも。

             きっとこの先も、一緒に居ると信じてた。


                当時の彼女もそうだったけど

                  そうは、いかんのねー

                忘れもしない、1999年 3月末日

               外務省より
赤紙発令、もとい辞令発令  

             「在ジンバブエ・日本大使館赴任を命ずる」  

続きの文章に
「尚、期間は設けず別命もしくは解任となる日までを任期とする」
書いてあった。
ちなみに、当時の外相は河野洋平、途中・田中真紀子、帰ってきたら川口外相だった。

つまり、いつ日本に帰れるかは不明、との事。家に置けないでは無いが・・・・・。
泣く泣く姫路カワサキに売却、売却益は一眼レフに消えた。ペンタックスF-1


           以後、4年の長きにわたってバイクなし生活を送る羽目に。  


         

               
四国丸亀フェリー内でゼブラ写す

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時は移り2001年、無事任務を終え日本に帰ってきた僕でありました。

ドサクサに紛れ日本出国前の一瞬を突き、ご存知・
山陽自動車教習所
にて大型二輪の免許を所得していた私は免許をすっかり塩漬けにして
おりました。

実はガーナ共和国にて本気でバイクを買おうとした事があったのです。
オスストリートのバイク屋に置いてあった
BMW850Rでした。
距離も走っておらず比較的綺麗で50,000j。手が届くがな!!
しかし、その頃懇意にしていた「イタチョー」事バイクジャーナリストの
太田氏
に「
メーター戻されてるから止めとき」と言われ怖くなって棄権しましたとさ。

そんなこんなでプラプラしているのもナンですんで適当に就職し、来る独立の
日の準備を始めました。

程なくして現在のビストロ・ゼブラの場所を発見し開店の運びとなりました。

オープンしてから3ヶ月、それはもぅ
大忙しで御座いました。
定休日も無く、がむしゃらに料理を作り続け気がついたら10月、秋の風が
ソヨソヨと吹いた頃
「そろそろ良いのでは・・・」と嫁をドライブに連れ出し
ワザとらしく姫路カワサキに誘い込む事に成功。

前から気に入っていたバイクを見せたのです。
幸い私は酒・タバコ・ギャンブルをしませんのと、嫁もライダーと言う幸運も
手伝い
「買いなさい」と快諾を貰いました。 実にゼブラ31の秋であった。
ちなみに嫁はアフリカでオフロードバイクを操っていたツワモノ。

こうして、我が家に4代目のバイク・HONDA-CB1300-X4が来たのでした!!

                   パチパチパチ!!



この雄姿を見よ!!  うーん、最高!!  トレビアーン!! ですわ。

このX-4を選んだ理由としては、一度ネイキッドバイクに乗りたかった事。
排気量が無駄に大きい事、誰も乗ってない事。
があります。 
なによりも仕事もあるし、そうそうツーリングにも行かないであろうと。それなら
オーバーなカウルはいらんと。



              そう、思いますわな。 
普通



                     が。


毎月・毎月ツーリングに行ってますがな!! よく働き・よく遊ぶ!! これ、最高!!

      ええ大人が5人も6人も平日の水曜日に集まって。
         さぁ、出石だ牛窓だ淡路だと・・・・。




             
いゃー、日本に帰って来て良かった!!


と、しみじみ思ってます。美味しいもの一杯だし季節のうつろいがたまらない
魅力ですね。
なによりも最高の仲間達が出来た事が嬉しいです。
これからもアッチ・コッチ行きますので、これをご覧の方で
「自分も!!」と言われる人はドシドシご参加下さい!!


           新しい世界が広がる事を保障致します。

牛窓ホテルにて、フロントマネージャー写す。

七曲・佃煮炭屋前にてゼブラ写す